真瑠璃の音庭で星々とうたう

*星間吟遊詩人のうたと日日の記録*

ふと氣になり再びキロンの位置を調べて明らかになったこと。

 

今回の人生。

 

だいたいが、

その時々の必要から調べ、腑に落ちる、という

答え合わせが起こるという寸法です。

 

それはちょうど、螺旋を描きながら、

この人生で関わる幾つかのテーマへ

定期的に接し、徐々に深まる様です。

 

色いろ巡るけれど、その都度驚くほど集中しているのか、

マニアックだな、オタクだな、と自身では思っていたのですが、

 

いくつか巡る分、一点で集中することを思うと、深化は

ゆっくりです。イメージで把握するのは瞬間なのですが、

おそらく左脳で理解することに暇がかかるのでしょう^^;

 

 

+++

 

 

昨夜から、感情的にザワザワしていました。

静かながら、しっかりと根幹に起こったざわめきです。

 

この数年、積極的に引き籠っていた状態から、

自然な流れとはいえ、また、家の外で大勢の人と

関わる様になったことも、もちろん関係しています。

 

一旦動き出したら、どっと流れが起きるのも承知の上でしたが、

その加速度はさすが2017、半端ではありません。何事につけ。

 

 

そのザワザワ。単に背後へ置き、今専念することに

フォオーカスすることでやり過ごすこともできます。

 

でも、自身の内なるキッカケとなる要因を

長きに渡って、見つめ、チューニングを続けてはいるものの、

あいにく決め手に行き当たっていないのでしょう。

 

実際、それは不本意ですが、

結果的にぐるぐるしていることに。。。

 

全く同じところをぐるぐるはしていないとは思いますが、

根本的にチューニングされていないということですから、

今回こそはちゃんと掴みたい、という思いがあって、

無意識にバースチャートを振り返ったりしたのでしょう。

 

もちろん、これまでのプロセスがあって、

たどり着く核心なのですがね。

 

超感覚で捉えつつ、

やはり、心身ともに、把持したいのでしょう。

 

 

バースチャートについては、これまで何度も眺めてきましたし、

独学ながら、多少は詠みこんでいたと思います。

 

ただ、深く入るには、もちろんタイミングもあります。

 

そして、努力するから、早まることもあれば、

かける時間はかけて、ようやく迎えるタイミングもあるのでしょう。

 

もちろんですが、

バースチャートの配置以外の要因もあることを踏まえつつ^^

 

 

+++

 

この度は、5ハウスのキロンが意味するところを

ひとつの単なる情報としてでは無く、

全身全霊で深い実感をもって読み取り、

受け入れていくのを感じていました。

 

それを静かに見守る何かしらさんが、

やれやれとほっとしている様でした。

 

思えば、この5ハウスのキロンが突然疼き始めると、

(もちろん、それ以外のこともあるのだろうけれど)

 

表現を始める度に、突然の硬直が心身に起こり、

キャンセルを重ねてきたのです。数えられないくらい。

 

そういう時、私ひとりの問題ではないことがほとんどでした。

結婚し、3人の子どももいますので、余計に、です。

 

また、私には勿体無いほどのご縁を頂きながらも足を止めることは、

相手の方には申し訳ありません。謝っても謝りきれません。

 

おそらくその辺りが、胸の中でシコリとなっていたでしょうし、

そのシコリをなんとかしようと、思考は一生懸命に意味付けを始め、

罪悪感までもを昇華させようとしたこともあったでしょう。

 

この状況を(目も当てられない;;;)と思ってしまう

タイミングでは、この種明かしは為されなかったでしょう。

仮に種明かされても、そこまで深く入らなかったでしょう。

 

今では、そんな自分をようやく笑えるくらいになったので、

やっとなのでしょう。

 

恥ずかしいけれど、今はまだ、これを不意に誰かに突然指摘されたなら、

心底寛いでやりとりできるかは、自信ありませんが、

多少は、免疫も上がっているかなとは思います^^

 

 

 

こういうことを受け、独りの時間が必要であると感じたら、

自他への影響が最低限に抑えようと本能が動くのか、

即、籠ることを選んでいたのかもしれません。

 

 

5ハウスのキロン。

 

色いろ調べ直すと、

 

のびのびと自己表現したい、愛されたい☆という体験を

幼い頃に積むことができなかったことを示すのが、

5ハウスに入るキロンの様です。 

 

そのまま、自身の子ども時代に当てはまる状況です^^;

 

過度な承認欲求潜在的にあることを自覚しているだけに、

もっと愛されたい、なんて、当然誰にも言えませんし。

究極の恥部でした。

 

ここまで冷静に眺めたり、感情の波が立つ時に、

それを客観的に、満たされない故の承認欲求として

認められる様になってきたこともあり、この

タイミングを迎えたのでしょう。

 

揺り戻しや、揺さぶりはあるものとして、

 

引き続き、素朴な芸術活動を

楽しんでいきます☆ いきましょう^^

 

 

以上、

 

ローワーセルフとの交流帳でした^^

 

 

 

 

日日として。

 

手元で、ヴィジョンを球体として眺めること。

ヴィジョンが目の前に具体的にあらわれ、
そこでシームレスに活動を始めること。


この両者のギャップが、
また、ぐんとなくなっていること。


それは、

思い描き、心寄せてきたことだ。

 

そして、

その様になると
(叶ってしまうと)


それは、

もはや夢ではなく。


日常だ。

 

この一連のイトを

ようやく、ようやく、

向かいたい様に委ねることが
できたということなのかな、と思う。


これまで、何度もなんども、
何かしら、しそびれてきた様に認識していたのだが、

 


もしかすると、それは単に、

そのトキではなかっただけなのかもしれない。

 
本当に、そうだ!と、わかったら、辞めない。

いわゆる、お試しがあろうが、何があろうが、

重い腰が否といっても、心が羽ばたいちゃうよ。

 

 

超感覚で、ふっとキャッチし、

 

その具体的な状態かと思しきものを目の当たりにすると、


なまじ、様々な可能性がみえたり、共感するものだから、

誰かに氣になってもらいたくて、

 

丁寧に、一つひとつ、

扉を開けてきたのかもしれない。

 

そしてもちろん、
開けた扉をくぐった先で、為されたことはあった。

 

いつかの約束が果たされていたり、

何かしらの再会だったとは今でも認識している。

 

 

今となっては、それらを細やかに言語化する必要が
浮かんでこなくて、

 

その、たゆたうエネルギーをまなざすことで、
もう、十分に思えている。

 

 

以上のことをこうして文字に起こせたのには、

或る赦しが起こったことと
大きく関係していた様に思う。

 

長い長い、あっという間の、こと。

 

そのために、ふと光を当てられた化石は、

また、眠る。

 

 

 

 290921

 

 

 

 

 

 

八月が終わる

 

八月は、毎年、深く深くダイブしている感覚にある。

 

七月末まで駆け抜けていたのが、ふっと糸が切れた様な、いえ、糸巻きから突然糸がどんどん解ける様な。

 

ブレーキがふっと消える様な。

 

そして、ぶくぶく、と、水の中で動きが緩慢になり、走っているのに、なかなか陸上のように進まないで、予期せぬ動きが起こる。

 

そんな海底暮しから、ようやく陸へ。

 

(といっても、サビアン的にはボートハウス暮しが日常なので、片足はやはり水の中かしら。)

 

 

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今日は何年ぶりかに、遠隔でヒーリングを受けたからか、急に眠くなったり、ぱっとこれまでに無い視界がひらけたり。静かに色いろ過ぎていった。

 

 

受け取りながら、なぜかアルクトゥルスサウンドを選びリピートして聴いていた。

 

終わってからも、それをかけながら、セッション中に浮かんだヴィジョンや聞こえた声を書き留めていた。とても明晰さをもって。

 

・オーラフィールドを櫛で漉かれる様にお掃除

・世界に入っていたヒビが一気に走り崩れ

・そらはまるでひらく蓮の花びら

・その真ん中に鎮座する私

・隠れるでない、でてくるのですよ、という声

・なぜヒーリングワークから離れているのですか

・また、ゼロからオリジナルな手法で、根源の

    エネルギーをここへ浸透する作業へ入っては

    どうですか

    (セルフヒーリングも含めて )

・傷を癒すヒールから、新しいエネルギーへの

    橋渡しと、クリエイションのサポートへ

    

思うところあり、ヒーリングワークから、大きく退いていたのだけど。さて、どうしたものか。

 

                     ☆

 

この度御縁いただいた方のヒーリングエネルギーと、このアルクトゥルスサウンドの親和度が、ちょうどいい塩梅だったのだろうか。

 

結果オーライではないが、エネルギーフィールドのクリアリングとチューニングは、これまでに経験の無いほどサクサクと確実に為されていくのを実感していた。

 

セラピストさんからのシェアリングは、どんなものだろうか。明日が少し愉しみだ。

 

 どのポイントを真ん中に据えるのか。

 

 あまり細かな所は決めすぎず

 流れがスムーズに為されていきますように。

 

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夕べが紡ぐ、今朝。

 

失敗を単に失敗と思い、落ち込むかわりに、それで引き起こされていくことを素直にみていると、

 

それはただ、為されることが完了されていくなのだとわかってくる。

 

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宇宙は手段を選ばない。

起こることは起こるだけで。

 

 

そこで波立てるのは感情。

 

 

喉元過ぎれば、想像以上の恩寵にあったことを、やはり認めざるを得ないのだ。

 

 

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 そんな、マワリテメクルあれこれが、さらに深いところで調整が起こり、腑に落ちていった梅雨の晴れ間。

 

 

 

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そんな時は、逆にベタなところで整頓されていく。

 

店先の花に誘われてスイカのハイビスカスティと抹茶エッセンスを補給✴︎

 

 

 

 

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 もう利用していなかった店なのだけど、こんなコミュニケーションは好きだ。

 

 

 

 

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 期せずしてお迎えした、サムハラサンの指守り。

ここしばらくの流れが道付けてくれていた。

 

 

 

 

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梅雨も、そろそろ開けそうな報せ。

 

まっさらな心で、本来のホログラムを眺める。

 

 

 

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日日の贈り物。

 

 

食用トマト、種取りトマト、青紫蘇さん、ピーマンさんは葉っぱさんも。

ミントの刈り取りの間に間に、収穫。完熟トマトはほぼ採ったので今朝はこれ+アルファ程度。

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豪雨が何度かやってきたからか、なんなのか、この数日完熟を待たれるトマト達は表面が少しマダラ氣味・。


蝉の声に、一瞬雨の音が降る。
飛行機の音が通り過ぎて、
朝の散歩の音が時折り鳴る。
不思議と人の声はお隣さんから
すこし漏れる程度。


最近よくこんな瞬間があって、

いま世界には小さな音庭と、
私しかもう残っていないんじゃないか。
なんてことがふと浮かんだり。


いろんな人人
いろんな情報
見えたり聞こえたりするけれど、


すべては何と無く映されるものであって、


呼吸するこのハートの周辺と、家族と、やりとりがある何人かはとても実をもって感じられる存在。


その辺りをよりたんたんと大事にしたいし、流れる起こる所作を慈しむひとときをマナザシ、味わい、見届けようとする衝動を自覚している。


その所作が、たまたま、
隣でマナザスことだったり、
ひとり、ふと、うたうことだったり、
言ノ葉を声にのせることだったり。。。


そんな、数えきれない刹那を
思う朝。


290713

松陰と文

 

吉田松陰という人物は以前から氣になる方であった。

 

とはいえ、そこまで詳細に渡り調べることはこれまで無かった。

 

ただ、数年前、九州へ向かう際、萩訪問がようやく叶った。松陰神社、生誕地、墓地へ立ち寄ったけれど、やはり、印象深い土地だった。

 

着いた日の夕方、用水路が小川の中州(?)で涼んでいた時のこと。書くものを車に忘れて困っていると、その足下に傷一つ無い新しいボールペンが落ちていた。。。出来過ぎだった。

 

まず、萩の松陰神社へ着いた瞬間、すでに体感があったのだ。その土地が、本当に生きた活きたものなのだ。もしかすると、即物質化なのか、あるいは、限りなくクリアなシンクロが起こり得るところなのだろうか。

 

自身にとって、ご縁のある周波数帯だったのか。

 

思えば、まさにその時期、『花燃ゆ』が次の年の大河で放映されるという告知が始まった頃で、あちこちにノボリが設置されていた。

 

結局、リアルタイムでは視聴しなかったが、いまが私にとってのタイミングなのだろう。

 

 

                               ✴︎

 

 

松陰の動きというのは、いまの時代と、ある意味リンクして思える。

 

(それもあってか、数年か前に超訳シリーズで松陰さんの言ノ葉が出版されていた)

 

松陰を突き動かしたものは、より普遍的な叡智だったからだろう。周りの者もそれを心得て、心から支持されていた御様子。

 

松陰を陰で支える最たる者が、妹の文さんだった。

吉田松陰が動いたひとつひとつの闇を受け入れ、苦しみつつ、その暗い側面に灯火を添え続けていたのだ。


理念のスケールと、日日の暮らしとのギャップ。そこに起こる感情の波を超えたからこそ、また踏み出せる一歩。

 

理解されなくても、それでもやはり、その様に生きること。それは、松陰も文も、等しく。

 

 

松陰の美化は避けたいけれど、周りの支持に氣兼ねる分、ただとにかく進む松陰。

 

生き抜く。肉体を後に残しても尚、生き続ける魂の叫び。

 

その姿には共感せざるを得ない。

 

 

 

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午後、梅雨曇り。

 

 

七夕の午後。

 

大好きなギャラリーカフェの店長さんから

すっと伸びる花達を頂く。

 

 

多分、先日お裾分けプレゼントした梅ジュースのお礼。

 

 

梅雨の晴れ間に

夏のキラキラを満喫。

 

 

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昨年の壁塗りと模様替えのお蔭で、

こうして居てもらえる。

 

 

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