真瑠璃の音庭で星々とうたう

*星間吟遊詩人のうたと日日の記録*

12/12−13 : 刷新の度合

 

日日の非言語率の高めな暮らしを

本能的にバランスしているのだろう。

 

しばらく、書く時間が増えている。

(あるいは、活字を辿ったり。)

 

書くなら、今のところ手書きがいちばん心地よい。

 

blogやSNSは、ふと手が動いた時だけ。

 

 

+++++

 

 

絵本の原画と本文を11月末に応募完了してから、

ひと月、まさかのタイミングで幾つかのコトが過ぎていった。

 

その1つひとつは、

いうまでもなく12/12-13 の刷新へと道づけていた。

 

 

例えば、

 

【人がよすぎた点】

 

 自身にとっては、モノココロついた頃からの案件だ。

 

これは、自身のエネルギー体質の傾向大きく作用する為、

カタチを変えながら、これからも有るコトには変わり無い。

 

それがこのたび、ようやくようやく、ちょうどの手がかりを

シンで捉えた感触に恵まれたのだ。

 

(それもあり、人がよすぎ点、と、記していた。)

 

 

あとは、

どうしてこれまでとはケタ違いに、最たる案件を

しっかりと捉えるとことが出来たか。

 

それはきっと、自身にあるこの世での心の弱さ

真正面からガティヴィティとして捉えることができたからだろう。

 

(ネガティヴィティといっても、ここでは、二極としての表現を意図していない^^;

 光が当たりにくかった、氣が向きにくかった、というイメージだ。)

 

過敏なエネルギー体質が弱さにリンクすることもある。

 

そこへ新しい視点を得た。

 

 

春から夏に移る頃、

再びガイドされた或るBlog記事を読んでいた際、

心の弱さも闇である、という内容に出逢ったのだ。

 

もちろん、それを真実と思うか如何かは自分次第なのだけど、

私には、以前よりも深く入ってきた。

 

これを、満を持して、というのだろう。

 

その記事自体は、2014年代に投稿されている。

目を通すのも、今回で二、三度目。

 

初見の際に、もっと受け取りたかった、と、

合理的優先の思考が、少し疼いていた;

 

 

モノコトには、タイミングがある、とは言うけれど、

 

ここまで判りやすく、観るものだけが、目に入ることに

なっているという仕組みを見せてもらっていたのだ。

 

 

お蔭様で、説得力が増した^^

 

 

自慢にもならないけれど、

これまで、一回眺めたり読み込んだものは、

だいたい、全体的に目につくポイントは把持していたので、

 

こんなに 読み落としていたのか???と、信じられなかった。

 

 

自身を見つめる為なら、どんな厳しい直球な内容も、

読んだり、受け取ってきたのだ。

 

それを思うと、

 

心の弱さが闇、と言うアイデアを受け取るには、

直球を受け止めるよりも、大きく痛む部分を確かに認識する必要と

その準備が必要だったのだろう。

 

 

自立を阻むもの(例えば両親の過干渉)へ立ち向かうことによる対立を、

不調和として避けた結果、主張の機会をどんどん後回しにし、

人を優先する結果となり、見せかけの調和を保持しようとしていたのだ。

 

 

挙げ句の果て、私を都合よく使おうとする人まで

生み出してしまった、と言う顛末。

 

道徳観念が根深く育ち過ぎていたのだろう。

 

いわゆる、

隠れた氣付きにくい【よかれと思って】、だ。

 

この俯瞰自体、何度目かの体験なのだから、

いかに私が、この辺りのことを怖がっていたのかがわかる。

この感情が流れるまで、本当にエネルギーを注いできた。

空回りの浪費も含めて^^;

 

 

あとは、本来十分すぎるほどある自立心が

日の目を見ないうちに、拗ねんてしまったのだろう。

でも、もう、それはいいのだよ。

 

 

そんな直観を得つつ、自身の闇を集中して見つめる周期も

ほぼオチが着きかけていることも感じていた。

 

 

星の協力もあったのだろう。

 

 

自身の場合、たまたま選ぶ本や、アニメ作品、日日の感覚に、

内の状態がストレートに顕れるので目安にもなるし、愉しめる。

 

 

それもあり、

明らかに、新しいフェーズにいるんだな、と

なんとなく感じてはいたのだけど。

 

 

12/12-13 の刷新は、自分でも驚くほどのもの。

 

 

ほんわ〜りと、

 

(ほら。やーっぱり、私、これでよかったんじゃーん)って、

 

 

 

氣がつくと、

まるりっとオチがついていた◎

 

 

 

 

2912-13