真瑠璃の音庭で星々とうたう

*星間吟遊詩人のうたと日日の記録*

世間という幻。ひとすじのヒカリ。

 

星関係のことを書く方は、

現在、土星山羊座へ入ったことが

まずは共通テーマとして目にとまる。

 

 

チャートでいうと、これから約2年間で、

山羊座にある30の度数を辿る旅が始まったことになる。

 

それぞれの魂レベルから起こる衝動が、

 

 自由奔放で華麗な理想に満ち溢れた休暇モード(温めてきたアイデアや、種播き)

から

パブリックでオフィシャルな感じ(発芽・開花・結果)

へ、移行する。

 

 

とはいえ、

私は星詠みのプロでは無いので、

ポイントをイメージで捉える程度に。

 

占星術の星、に関しては、氣にするけれど、

絶対、とまでは思っていない。

 

 

おそらく、幼い頃から、

だいたい何事にも同じようなスタンスで認識していた。

 

もちろん、当初は、感覚で捉えていて、それ以上

別に必要を感じていなかったので、説明がつけられなかったけれど。

 

今、ソレを言ノ葉で顕すなら、

 

この、見えないけれど、確実にあるだろう、

クリエイターのみなもとのエネルギーを、

 

様々な学問や数え切れないほどのツールで、

説明しようとしているのだけど、

 

ソノモノは表現し得ない。と思っている。

 

あえていうなら、そのプロセスが

ソノモノなのだと思っている。

 

だから、その結果や、成し遂げた、ということには

そこまでの執着が無く、氣にもならないのだ。

 

 

星の配置による影響も、ソレが生きる道、と

認識する人もあれば、そこから抜けて、どう

生きるのか、という認識もあると思う。

 

歴然とした、エナジーの道筋、通り道は

あると思う。

 

ソレに乗っているモノは、何事もとてもスムーズに運ばれるのだろうし、

常にダンスする様に自由自在なのだと思う。

 

たとえ、企業の形を取ってられようが。

 

幕を閉じるのもフラットに。

新しいことを始めるのも、とても自然に。

 

そういう場合、

そこには、きっとヨドミが無いのだろう。

 

 

・・・

 

 

上記の 土星山羊座期の氣配を自身の場合で

さらっと覚え書こう。

 

 

このパブリックでオフィシャルカラーの風潮の中、

 

自由や夢理想を胸に挑戦を続ける、という

生涯に渡るテーマが孕んでいる場合、

 

一体どの様に捉えるのだろう。。。

 

オフィシャルな空氣の中で、

 

見る人が見れば、

一見、お花畑で夢見る夢子と認識されそうな青くさいテーマ。

 

 ちょうど、ここでまた、本質的な深化、必要あれば捉え直し、リセット、の

必要も感じていたので、タイミングは合っている。

 

その為には、この在り様をいま一度、新たな感性で俯瞰する必要を感じた。

より具体的に、建設的に、これまでの流れとこれからを星の配置などから

見直す必要を感じた。

 

今回、参考とさせて頂いたのは、

ジオ、ヘリオ、それを橋渡すハーモニクス

幾何学的に詠まれるil lumeさんのリーディングだ。

 

受けとった内容を踏まえつつ、

そこに書いてくださった度数のサビアンを調べるうちに

自身の中でもイメージが湧き、どう在ろうか、が、

少しずつ見えて来た。

 

夢、理想を胸に、自由に、挑戦し続ける。

 

その内容やプロセスを

 

内観的な作業から、開示、明示して行くという作業

変えてみることから始まりそうだ。

 

これまでオンラインで書くときは、自身で整理整頓する為であったし、

内なる宇宙(内宇)放送局、ガイドさんとの対話、として、

とてもプライヴェートな感覚的に書いていた。

 

それがパブリックになるということは、その内容を共通認識できる表現へと

翻訳するということなのかな、と、思ったのだ。

 

(創作は、またこれとは質感が異なるのだと思うけれど。)

 

 

こうして書いてみると、それはそれは、基本中の基本という氣がして、

なんだ、、、、と、一瞬思ったけれど。

 

 

ただし、これまで感覚的に書いてきたのにも、理由はある。

それは、言葉の限界と、言葉に対するそれぞれの認識の差異を思い、

いっそのこと直感的な部分を感覚的に記したほうが、

必要とされる方へは、エナジー的に受け取りやすいのでは??

と思ったからだ。これまでのいくつかのblogは特にそうだった。

あえて説明文というものを避けていたのだ。

 

いわゆる、届く人にだけ届きそうな内容。

それはすなわち、とてもプライヴェートで夢一直線なモノ。

 

それが今、星のエナジー的に、極めて私的な氣まぐれ発信、発振を

抽象度を上げ、少しでも分かち合えるものへと翻訳するのには、

ちょうどいいタイミング、ということなのかも知れない。

 

パブリック、オフィシャル、本社、本部、というのは、

そういうことだったな、と、数少ない会社経験から想像する。

 

もちろん、どちらがどう、ということなどあり得ないとして。

そういう時期として捉えている。

 

 

この世で、上・下、左・右、の別があることを無視することは

残念ながら今のところ、まだ出来ない場合がある。

 

それを思い知ったこの数年でもあった。

 

また、それらをなぎ倒して、すべては1つなのだ!!

と叫ぶのは、今の自身のテーマでは無い。

 

 

今は、その制限が残るところで、をふまえるのだ。

その制限というものがあってこその、全体性ということ。

でも、その制限もどんどん質がシフトしている。

それを見守り、自身もそこで暮らすのだ

(夢と理想を胸に。自由な表現のもと)。

 

 

・・・

 

自覚、無自覚にせよ、制限を超えた視点から、

双方向や全天球感覚で動く位置に在るモノは、

その感覚を踏まえて、すでに橋渡し作業が為されている。

 

わざわざ文字にすると、今更感がどうしても否めないけれど、

 

その橋渡し作業中、余りに純粋な衝動から動く方々が、

立ち止まったりする際の、一時的、あるいは、定点観測的な

宿り木、一時的なシェルターとして意識的にマナザス、

という立ち位置に、自身は、つくのかも知れない。

 

いや、すでにその流れにいたのだ。

今一度、自身の心との対話を深めることもあり、篭っていたけれど。

 

 

撒かれたヒカリの種が、のびのび発芽し、開花するのを

見守るように。

 

ある時期は、

わざわざ看板なんてなくても、自然な出会いの中で

為されるでしょう、と思っていたけれど。

 

 

そんなプラットフォームが、有ることを

示しておくことは再開することになりそう。

 

そのカタチは、もはや、自身の拘りなどとは

まったく異なるトコロのものとなりそうだけど。

 

 

エッセンスだけ、通っていれば。

よきと思う。

 

 

 

 

 

291220–21