真瑠璃の音庭で星々とうたう

*星間吟遊詩人のうたと日日の記録*

聴くということ。

結局、

 

やっているコアは、
何歳になっても変わりません。

 

確信はどこまでも深まります。

 

子ども時代から、

 

話したくても、

氣がつけば、

聴き役になっていました。

 

時には(…それ、そこまで私に
話して差し支えないのですか??)
と、逆に氣を遣う場面も度々。

 

中には、元国会議員の類の方の

極めて個人的な独り言みたいなことまで。

 

ある時期、定期的に受けていた

カウンセリングでは、

私が聴き役になるという展開も。

 

 

今思えば、

 

それは何も、私の遠慮などの類ではなく、


すでに実習、実践だったのだ、と、
自覚も深まり続けます。

 

でも、おしゃべりも好きです。

 

 

ところが、

その聴き手としてみると、

子ども達の父は、まったく、

適任ではありませんでした。

 

そこである時、いっさいの意図も無く、

私は、彼の思考形態に沿った質問を

投げかける様になっていたのです。

 

その瞬間を境に、文字通り嘘の様に、

私からの質問や、投げかけに対し、

彼から返事がすっとやってくる様になったのです。

 

 

その一瞬に、ふっと浮かんだのは、

 

どう聞けば、

この人からの意見を聴けるのだろうか?

 

ということでした。

 

 

後々に知ったのですが、

 

この発想というのか、方法は、

カウンセリングの実践の場でも

活用されているものと、とても

近しいことだったと聴く機会が

あったのです。

 

特に学んでいなくても、

自身がそういう発想をするということは、

その方面に適した資質があるということ

なのかもしれない、と、ようやく受け

容れることにしたのです。

 

それもあり、これからお届けする内容の素地として、

結果的カウンセリング要素も入っていくとは思って

いましたが、より自覚的にカウンセリングに対して

洗練、深化しつつ、プレ期間も充実を意図して臨みます。

 

 

この辺りをしっかりと記述するのは、

学生時代、進路を選ぶ際に、諦めや、

挫折感を何重にも味わったりしたからか、

喜びも深いからです。

 

また、当時の私にとって、進路決定する際、

意思を通すには、人自体や、反対意見への

耐性が激しく未熟だったことで悔やむ

経験も大きく位置を占めるものでした。

 

そのプロセスを経て、「ようやく!」

という感覚が強いのがよくわかります。

 

 

進路というテーマで書く機会には、

詳細も、昇華を兼ねて触れることにします。

 

 

 merci merci

 

   301024